ソフトウェア開発者のキャリア・パスについて社内議論をした

うちの会社はエンジニアがリードするというタイプの会社ではない。で、そんな中にあってソフトウェア技術者(平たく言えばうちではSEとかコーダー)にとって社内のキャリア・パスって何だろうね、という話が会議の中で出た。

背景にあるのは、コードを書いて、ウデを上げて、成果も出して、で、昇進昇格していくとある一線でイキナリ「君は明日からマネージャーだ」と言われて、ものづくりの現場から引き剥がされる、という不安や閉塞感、偏見や先入観だ。これはある意味、現役バリバリの選手が明日から突然コーチ/監督になる、というようなもので、たしかにいままでの経験は生きるのだが、プレイヤーを続けたい人間にとっては引退勧告と同じに聞こえる、というわけだ。

そして、その漠とした不安が的中するような人事(事件)があった、これはヤバい、というのが不安感倍増の背景でもある。現場にこだわりつづけた人が、突然明日から「君まとめ役だよ」となった、ように見える、というお話。

現場メンは「いつまでもコーディングしていたい」という思いがあり、会社側としては「がんばってはやくマネージャーになってほしい」というわけだ。たしかにぶつかり合う要求だ。この両者の要求を直交させるためにはどうすればいいのか、というのが本当の議論の目的だったかもしれない。

5-6人で議論した中、様々な意見が交わされた。「それは合意」という内容が圧倒的に多く、フタをあけてみると結局のところ何が不安感の背景にあるのかわからない、といった様子だった。私は現場エンジニア側の中間管理職なので、なんというかなんとも言えない、もどかしい気持ちで一杯だった。

以下のようなネタが合意とか、暴露とか、いろいろされた。

  • 報酬という面では、「一人のエンジニアが100生み出す力があるとしても、そんなエンジニアを10人まとめあげてトータルで1000のアウトプットを生み出せる管理職のほうがエラい」だから「マネージャーのほうが報酬は大きい」
  • ゲンバ適性とマネージャー適性は別である
  • 世間の評価と同じで、社内でも「管理職になることを拒否する」というのはリタイヤした、とか、白い目で見られるような気がする
    • 「1エンジニア」として評価を得たいと思っている人がなぜか異端者扱いされるのは理不尽なんじゃないのか、とか
  • 「管理職になるかどうか」は任意という制度にすればいいんではないか?

以下のようなネタが平行線だったり、わだかまったまま持ち越しとなった。

  • 「管理職になってもものづくりはしてはいけないとは言っていない。作ればいいじゃないか。」「仕事の軸足と労働時間の関係からすれば、それは現実には不可能なはず。」
    • 当たり前だ。マネージャーがマネージメントそっちのけでものづくりをする、というのは職務放棄に近い
    • 要するに「現場作業」の比重を高くしておきたい、ということなのだろう.
  • 「管理職になるかどうか」は任意といったが、事実現場主義でイヤだイヤだといっていたのに無理矢理上げられた人がいるじゃないか?
    • →「そんなことはない、合意の上」
    • ←「合意の形成プロセスに疑問がある(精神的脅迫に近い何か?) それを「任意」というのはマッチョ優遇すぎ

"今北産業"的には
「A:管理職になるよりゲンバがいいよー
 B:ちょっと世間の目とか給料はアレだけど、別に無理に上がらなくてもいいんだよ
 A:ウソだっ!!(ひぐらし風)」
という感じなのか。違うか。

まあ、またこの話はするんだろう。非常に面白いテーマだと思う。