イノベーションワナビーが陥りがちな「新しいものを作りたい」の罠
最初に断っておくとこれは特定個人や集団や属性をdisった内容ではありません。自分も気をつけないと、と思って心の中を整理するために書いています。
"イノベーションワナビー"は造語です。多分。会社にもたくさんいます。どういう意味か、というと「僕はイノベーションを起こしたい」の後に「新しいものを作りたい」が来るような人々のことです。変革を起こしたい、変革こそが目的、というだけでもかなりラディカルなのに、そこに Something New が「前提」としてくっついてくるんです。"New"が目的であり、"Innovation"はその次になってしまっています。
個人的には、これは思考の罠だと思います。つまり、イノベーションというのは「新しいもの」だという暗黙の前提があるから上記のような言葉がセットで語られているのだと思いますが、これは間違いだと思っています。
『新しい』かどうかは、製品やサービスにとっては結果論であり、それを目的に創造するものではない。新しいことそのものが目的になるのは「発明品」の類だと思うが、これも「新しいことを探す」から発明にいたるケースは稀なんじゃないだろうか、と思います。
実際の例って、どちらかというと、例えば
- 不便だなあ、これどうにかならんの
- これとこれ使ったらなんとかなりそうじゃないか
- 出来たっぽい、すでに他の人作ってるかもしれないけどまあ、リリースしちゃえ
- 「おお、新しい!便利!」と声が
みたいな感じじゃないでしょうか?
上記の例では新しいかどうかは結果論であって、作者は意識していないケース。ビジネス的なところを見てみると
- 潜在顧客にアピールするためにはどうすればいいか
- ノンカスタマーを分析してみよう (ブルー・オーシャン戦略なんかでありますよね)
- じゃあ○○にフォーカスした製品を出してみよう
- (結果的に新しい製品になる)
というものかと思われます。ブルー・オーシャンの話をカッコの中に出しましたが、この手法もどちらかというと「新しいものを作る」という観点で語られがちですが、どちらかというと潜在顧客とか、既存製品や技術のヨコやタテへのアドバンスを狙うもので、「イノベーションだぜ!"新しい"を創造だぜ!」という観点ではないように私は理解しています。
「みんなで新しいもの作ろうぜ!」はいかにもキャッチーなフレーズ、スローガンですが、おそらくそんなことを言っているうちは新しいものは結果としても出来ないか、もしくは出来ても多分に作者達のマスターベーション色が強いのではないでしょうか。もちろん個人活動とか同人活動においてはそれは全然アリ、というか大賛成なのですが、製品やサービスを作る企業活動的見地ではこれはマズいでしょう。
自戒の念を込めてこんなことを考えてみました。