価値から価格を要求するのではなく 価格に見合った価値を…という話

アメリカの製造業?小売業はすでに、コストに見合った価格を設定するのではなく、適正な価格に見合ったものを製造するという発想になっている・・・システム開発もこういう考え方が必要なのではないか・・・という話をどこかで見たのですけど、個人的にはちょっと違うと思います。
上のような発想は別段珍しい話ではなくて、たとえば経済学の入門書を見るとよく出てくる「完全競争市場」の話だと思います。
これは経済学者が設定したモデルの話で、たとえば効率市場仮説や合理的消費者の前提と関係があります。
『売り手と買い手が市場に充分に存在し、企業も個人も常に合理的であるならば、価格は企業が決めるものでも個人が決めるものでもなく市場から与えられるものだ』というような考え方で(ニワトリとタマゴみたいな話ですが)、いまの世界はこの完全競争市場に近づきつつあると言われています。
このモデルの下では企業が自分の理由で価格を引き上げると、「常に合理的である」と仮定された消費者は当然安いものしか買わなくなるので、競争力はゼロになる。逆もまたしかり。しかし企業も常に合理的であると仮定されていますから、作って売るだけ損するということもおこなわない。だとすると価格は与えられるものですから、企業は価格に見合ったコストで財を作ることしかせず、個人はその価格でもっとも品質の高いものしか買わなくなる、というような話です。
発想の転換でもなんでもなくて、むしろ絵空事っぽい経済学の仮説に近づきつつあるだけなんだと思います。
でも、請負型のシステム開発の世界って違う気がします。ある市場(マーケットプレースのような考え方ではなくて、この場合ある企業がシステム導入を検討しているフィールドを指すのかと)において売り手も買い手も充分に存在しない。ましてや、上の話ではないですけども真に合理的な選択というものがどういうものかは売り手も買い手もよく分かって居ないとすると。
あと、経済学の初歩の上の話ですが、さきほどのモデルの話と関係して、「参加者限定入札」「順番待ち」「くじ引き」などの財の配布に関する仕組みはすべて市場を非効率にするのだという話が登場します。細かい理由は忘れましたが、ある財に最も高い評価を付ける買い手がいるのにその買い手に売り手が配布できないのだとすると非効率だ、みたいな話だったかと。だとするとシステム開発も近いことはやってますから。