投資測定…の可能性の話

昨日のエントリにrekiからコメントをもらってからしばらく考えていたのだが、そもそも投資に対する効果(回収ではない)を検討する場合に「個々のプロジェクト」云々についての粒度は何かガイドラインがあるのだろうか(感覚的なもの以外で)。
度々、企業は財を投資して何を得るのかという抽象的というか根本的な話に戻しているので、今回もその方法を借りるとすると、企業の活動が合理的であるならば直接的な金、人材、時間という財を投資するのは何かを得るためということになる。しかし、これは粒度が小さい場合でも同じかというと、それは評価そのものが難しくなる。
極論でいえば、ある社員がある時間にキーボードで何か文字を打っているその行為が「合理的な投資」かどうかなど判断できない。もう少し単位を大きくして、何やら難しそうな「QC会議」という場で品管部長が部下に激を飛ばしているとして、これも「合理的な投資」かを判断するのはまだ難しい。
この関係は結局のところ、企業の目的をブレイクダウンしつづけていくと、最終の指標を分解したかなり細かい指標(ゴールと置き換えても問題はないが、特に目標数値はない)が出てきて、ここに繋がっている。この「部分的指標」の集合がもともとの最終の指標に影響を与えている、と考えるのは自然だし、たいてい企業ではそう教えられる。
BSC(こいつばかり引用しているが、考える上で都合がいいので)でも最終目標に対して指標を掘り起こして、その指標はすでに4つの観点において財務以外のものを含んでいる。顧客満足度がどうのこうの、といった具合。風がふけば桶屋が儲かる、というわけではないけども「部署のハブを交換したら実は利益が上がる」といった導き方(演繹なのか帰納なのか...)も可能に違いない。
しかし、指標もブレイクダウンに限界があって(妥協してるだけかもしれないが)、さきほどの社員が何か文字を打っていることを捉えて定量的にその投資効果(指標の変動)を計ることは難しい。
で、例えばある企業がシステムに対して投資を行った場合に、そのシステムの投資効果を計る、ことはブレイクダウンのレベルからして不可能なことだろうか。先ほどの社員のキータイプの例のように「おそらく集合の一部としての関係はあるに違いないが、そこだけを見て計るのは難しい」のだろうか。