投資測定の話で飛躍してみる

さきほどの問題は、微妙になにかに似ていると思い、少し考えてみると無限母集団に対しての標本の話に似ているような気がしないでもない。標本のサイズが小さいとき、母集団を充分に説明しているとは言えない(感覚的にも、検定的にも)。そして、ある標本が母集団をどの程度説明できるかは標本の量と抽出の仕方に関係がある。
統計の話ならば、と今度は中心極限定理を持ってきてみる。母集団に対しての標本をいくつか取り、その標本の平均を求めて、複数の標本の平均の平均は、標本のサイズに応じて母集団の平均に近づく、というような定理(専門家の方にはお叱りを受けそうですが)だったかと思う。
システム投資に置き換えて見ると、母集団というのは企業の個々の活動を集めたようなもの(得体がしれない...)だとして、標本が小さい場合(ある日の朝礼、ある会議、ある営業まわり云々...)は母集団をうまく説明していない。標本のサイズが大きくなればなるほどそこには、行為が集合した結果としての「スループットの増加」「投資損益の増加」「販管費の削減」が説明されていて、それは少しずつ母集団を説明するに足る状態になる。
うーん、だとすれば(こんだけ飛躍/妄想しておいて「だとすれば」もないが)システム投資はその規模が大きければ大きいほど、全体を説明する比率は高くなり、つまりは深過ぎないブレイクダウン指標に対して直接貢献することを説明できる、ということなのだろうか。
小さいシステム、大きいシステム(標本のサイズの話)とはなんなんだろうか?? 企業の活動の集合と定義したのだから、どうやら投資額の大きさというわけではない。システムのカバーする企業活動の範囲というようなところか。そう考えると、例えばあるDM配信をなりわいとする会社に対して配送履歴管理・配送先管理システム、高速宛名印刷システムなどを納入したとすると、どうやらこれらのシステムはこの会社の経営指標を浅くドリルダウンしたものに関与することが説明してしまえそうだ。
逆に、やってることも規模もデカい会社が、"プロプライエタリな会計システムをリプレースする"、という投資を選択した場合、このシステムがカバーする企業活動は集合の比較的小さな部分であるから、投資効果を測定するにはかなりブレイクダウンした指標に対して実施するしかない、ということになるのか(リプレースだとややこしいか...)。
いずれにせよ指標に対しての関与を説明できるならば、BSCの例を引っ張ってきて、投資対効果も説明できるはず。その指標の点数を1点いくらで買うのさ、みたいなことが説明できれば、財を投資して得たものを定量化し、議論することも可能。ただし、その範囲が小さければノイズの可能性があり(母集団をうまく説明していない可能性があり)、意味がないかもしれない、ということか。
散々飛躍して、一人で納得してしまった。でもそこそこ面白いかも。